私たちは毎日多くの会話を自分としています。
何かをしたり、
感じたり、
考えたりする時。
自分をストップするのも、
勇気づけるのも、
背中を押すのも、
多くの場合は「自分」です。
いや、詳しくいうと、これは「もう一人の自分」
この「もう一人の自分」がポジティブな人かネガティブな人かでその後の行動が大きく変わります。
朝起きて「今日も素敵な日になるな」と思うのも
「うわ、また1日が始まっちゃう」と思うのも、
あなたと「もう一人の自分」の会話
全く同じ状況にいる、全く同じ人でもその状況を「どう」思うかで見えている風景が全く変わります。
行きたくない会社を
「いや。行きたくない」と思うか、
「今日も学べるから頑張ろう」と思うか
つまらない先生の授業
「サボって、勉強するのやめた」と思うか、
「さっさと勉強して終わらせちゃおう」と思うか。
意地悪な同僚
「こんな人一緒に仕事したくない」vs
「彼も辛いことがあるのかな。どうやってたら一緒に楽しく仕事ができるかしら」と思うか。
手伝ってくれない旦那
「なんで今日もゴミを捨ててくれないんだろう」
vs「稼いでくれるし、子供とも遊んでくれるから、仕方ない。他は私がやろう」
など。
そして、この視点に影響するのが私の場合「もう一人の自分」です。
今はシチリアにワーケーションにきています。今はここから仕事もして、大家族とも仲良く、ハッピーなワーケーション生活を送っていますが、数年前は私はここにくるのがあまり好きではありませんでした。
その理由はネガティブな「もう一人の自分」がいたから。
「海は綺麗だけど、泳ぐのあまり好きじゃないし、蚊がたくさんで最悪」
「海に行く以外、何もすることがなくてつまらない」
「主人の親御さんや兄弟たちと何週間も同じ屋根の下で、自由がない感じがする」など
今では、この家の蚊の数も、村の大きさや活動の数も家族構成も変わっていません。うちの子供たちが大きくなったので、若干楽になったのはありますが。
何が一番違うかというと「もう一人の自分」の在り方が変わったから。
たまにこの自分が出てきたら「ちょっと引っ込んでて!」
自分が「もう一人の自分」「在り方」や「存在」について「決めて」「コントロール」できることを忘れないでください。